額田まちの風土記 第11巻
鈴木家住宅
光圀公の愛をいつまでも |
平屋の民家や 一般的な2階建て住宅が立ち並ぶ中に、 かやぶき屋根の家を見つけた。 その家は歴史的な重要文化財として 茨城県指定文化財に登録されている 「鈴木家住宅」。 |
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鈴木家は 水戸藩時代、庄屋を務めていた。 庄屋とは江戸時代、代官の指揮の下で 村の事務を統括するもので、 現在の村長である。 鈴木家は公家の家格の1つで、 天正年間以前に設立された家紋を持つ 旧家であり、額田小学校の裏から 額田城跡入口までのお堀と、 引接寺から阿弥陀寺にあるお堀、 そのすべての土地を持っていた。 |
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元禄時代、 鈴木家の鈴木市十郎のもとに 徳川光圀の娘をお嫁にむかえいれた。 |
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水戸藩第2代藩主徳川光圀公が 家督を3代綱條公にゆずり、 光圀公自らがはじめた 「大日本史」の編纂事業に 生涯をささげるため、 西山御殿、西山荘にうつり住まれた。 |
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西山荘は、茨城県常陸太田市にあり、 光圀公は、その往復の際に 鈴木家に立ち寄っては、 娘の顔を見ていったという。 それゆえ、宿泊の際に用いたとされる 書院もそなえられている。 |
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昔ながらのかやぶき屋根で、 今も大切に手入れがなされ、 当時の状態を保っている。 かやぶき屋根は、 ススキと小麦の粉をまぜたもので、 屋根をふくことで 良い状態が保たれるそうだ。 天井はその当時の技法で、 竿縁天井になっている。 |
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ろう下は、 ここでは4尺にして傾斜をつけている。 そうすることで、 日の光をあたりやすくし、 木造ならではの、日のぬくもりを より感じられるようにしている。 光圀公の 娘に対するあたたかい思いが この家のいたるところに こめられている。 |
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外にはモチの木が 2本植えられている。 光圀公の弟子たちが お手植えしたもので、 樹齢は、400年をすぎている。 そのうちの1本にはカミナリが落ち、 中の肉質部分が燃えて、 空洞になっている。 しかし、 いまもなお生きつづけている。 |
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モチの木は 海岸に面する家づくりの木材として 使われているように、潮風にも強く、 とても丈夫である。 |
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困難にも立ち向かい、 生き続けるモチの木のように 時を超えて、繁栄し続けてほしい という光圀公の願いが こめられているらしい。 |
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鈴木家に嫁ぎ、 いまのこの家を守っている おばあちゃんがいる。 おばあちゃんは、 鈴木家住宅を訪れた人々を いつもやさしくむかえ入れている。 おばあちゃんのおもてなしは、 この家のろう下に差し込んでくる 日の光のようにあたたかく、 力強いモチの木のようでもあり、 人々にパワーを与えてくれる。 |
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昔の建築技法を現代にのこし、 光圀公の愛を受けつぐ鈴木家住宅は、 この家を建てた当時の人々が 見ていたもの、感じていたことを 体験できる貴重な場所であった。 |
2017年2月6日 初版第1刷発行 | |
著 者 | :畑岡 祐花 |
編 集 | :畑岡 祐花 |
発行者 | :日本地域資源学会 |