瓜連まちの風土記 第6巻
瓜連のまちと常福寺
【瓜連用水】 みんながつないだ水の道 大地を潤し、人と人を結んだふるさとの 知恵とチカラが勇気をくれる |
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◆民家の裏庭をぬけ、瓜連のまちをつらぬくようにして用水路がはりめぐらされている。高台に集落が形成された瓜連は、水を 確保することに悩まされてきた。名も知れぬ先人たちが、知恵とチカラを持ち寄り、那珂川と久慈川から水をひきいれた。高台の 上の方に雨水を貯めるためのため池をつくりあげた。 ◆そのようにして、まち中にはりめぐらした水の道が瓜連用水である。今でも瓜連の人々の生活風景にとって欠かせないそれは、 この土地で生活する人々の暮らしを豊かにし、恵みを与えている。 |
私が瓜連を訪れたその日は ちょうど二十六夜尊の真っ最中であった。 普段はひっそりしている瓜連のまちは 年に一度の縁日でたいへんにぎわっていた。 |
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私の両親の実家は瓜連にある。 子どもの頃は毎年お祭りに連れていって もらうのが楽しみであった。 思春期になりある程度親離れして以来 楽しみにしていたお祭りのことは もうすっかり忘れてしまっていた。 思いもかけず 再び二十六夜尊に遭遇した私には 幼少の思い出が次々によみがえってきた。 |
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そして 久しぶりの二十六夜尊という特別な日に 人々が持ち寄ってきたモノであふれる 常福寺の門前通りを目のあたりにでき うれしさがはじけている 人々の笑顔にであうことができた。 |
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地域資源の活用やにぎわい ミュージアムを学んでいるいまの私が ふるさとの人々が はじめから意図することもなく 偶然につくりだした そのハレの世界に 魅了されたのはいうまでもない。 |
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その世界を楽しんでまちを歩いていた私は いつのまにか小さな小道に迷いこんだ。 目の前には、長い下り坂がたたずんでいた。 その坂を数分下ってみると 小さな町に迷路のようにはりめぐらされた 用水路が目にとまった。 |
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のぞきこんでみると きれいにすきとおった水が流れていたので びっくりした。 こんなまちの中で 限りなく透明に近い水の流れに出あうことが できた私はその瞬間タイムスリップでもして しまったかのような錯覚に陥ってしまった。 |
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目を閉じて さらさらとそよぐ水の音を聞いてみる。 それだけで 心がとてもおだやかになる。 |
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道のべに 清水流るる 柳陰 しばしとてこそ 立ちどまりつれ という歌を歌ったのは西行法師である。 |
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二十六夜尊のにぎやかさと華やかさにふれた その直後に、人と自然が結びついてうみだした 神聖な世界に出あうことができた私は、ただ そこにいるだけで自分の今までのことを見つめ なおし、自分とだけ向き合う時間が与えられて いるような感覚を持つことができた。 そして、こんなステキな体験ができる瓜連の まちに、底しれない魅力を感じた。 |
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そんな感覚を呼び起こさせてくれる瓜連は、 わたしにとっては、まぎれもなくふるさとなの である。 この小さな水の道が、人々に守られてきている のは、利便性や先人への感謝の念を超越して、 それはいつも暮らしの傍らにあって誰にでも 自分と向きあうことができる瞬間をよびおこ させてくれる装置があったからなのではないか と私は考えた。 |
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「上善は水のごとし」という故事がある。 水はとおい昔から、あらゆる人々にとって、 私たちに自然とのかかわり方、生き方をおし えてくれる最高の「学びの道具」なのである。 ステキな哲学を育むことができる水の道が いまも大切に守られている瓜連は、昔もいまも 幸せなまちである。 |
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私の視点 |
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私たちは、ほとんどのモノをお店で買い、買った モノで生活することが豊かで便利であり、新しい モノを持ち、使うことが美徳であるとする社会で 生きています。 瓜連のまちには、モノと産業の考え方で あふれてしまったこの社会がすっかり忘れて しまった大切なコトを思い出させてくれる宝物が たくさんあります。 |
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そのひとつが瓜連用水です。瓜連用水には、 限りなく透明に近い水が流れ、水の流れが 暮らしとともにあります。 そして、何より驚かされたのは、瓜連用水は、 実用という視点を超え、あすへの生き方や 思いを育むための暮らしの暗黙として大きな チカラを持っていたことです。 |
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その土地にあるモノをいまの暮らしにあわせて 活用する。そんなスタイルで生活する人々が いること、それがステキな暮らしであるという ことに気がついてほしいという思いをこめて、 私はこの作品を書きました。 この大切な場所を、瓜連の人々のチカラを あわせてこれから先も守っていってもらいたい と思います。 |
2015年3月20日 発行