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瓜連まちの風土記 第8巻

瓜連まちの風土記 第8巻

瓜連のまちと常福寺

 

【常福寺と二十六夜尊】
みんなを結ぶ祈りとまつり

 祈りは、人と人を結ぶための、
 人をおもいやる心を育む
『第8巻』の画像
◆二十六夜尊は、了誉上人の命日である旧暦の9月26、27日にあわせて、瓜連の人々が集う法事である。それにあわせて、家族や先祖を供養するためのおまつりごとも開催されている。
◆ふだんは生活者のまちである瓜連では、たくさんの人々が集う特別な日で、門前には市がたち、人々は先祖に感謝しながら交流する。
◆二十六夜尊には、時を超えて、家族をそして人と人を結びつけ、みんなでチカラをあわせて、コミュニティを育むための仕組みがうめこまれている。

常福寺の二十六夜尊は、
常福寺二世の『了誉上人』というお坊さんを
しのぶための「法事」である。

二十六夜尊で了誉上人をお参りした人たちは、
「御報恩」として自分の亡き家族・先祖の供養
をしてもらう。
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それが人づてにクチコミでひろがるようになり、
全国からも人々が集まるようになった。
600年の歴史を刻み込んでいる
二十六夜尊は、いまでも瓜連のまちで最も
大きな祀(まつり)ごとになっている。
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以前、常福寺の住職さんにお話をうかがった
ことがある。歴代の住職の方々はみな、できる
だけたくさんの人々に了誉上人の御報恩を
もらってもらおうと考え、さまざまな工夫を重ねて
きたという。
それらの改良を積み重ね、いまのカタチが
できあがってきたという。
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二十六夜尊には、たくさんの露店が出店し、
にぎわっている。
住職さんは、

あらゆる人がここに来てもらって、
結びついてほしい

という思いから、
この場所を無料で開放したからである。
08-09

普段はすっかり静まりかえった瓜連のまちでは
あるが、この日だけは、まち中から、そしてよそ
からもたくさんの人々が集まってくる。
よそのまちのいろいろな祀(まつり)ごとと
ちがって、おじいさん、おばあさんに手をひかれて
やってくるお孫さんという組みあわせの家族が
たくさんいることがとても印象にのこった。
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私は、おばあさんと男の子と
そのおばあさんのお友達という3人が
連れたってやってきた方に声をかけてみた。
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「今回は、亡くなった主人の供養に来たのよ。」

「二十六夜尊は、死んだ人を供養してもらえる
おまつりだからね。
死んでしまったけれども主人には感謝している
から、こうして毎年供養してもらっているのよ。」
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「この子は、ただおまつりという感じで一緒に
来たけれども、人の冥福を祈るってとても
大事なことだと思う。
そのカタチだけでも知ってもらって、この子の
孫の代まで引き継いでいって欲しくてね。」
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彼女が語るひとつ一つの言葉は、
私の心をつきさした。
彼女の言葉から、私は、
住職さんの願いが瓜連の人々に
届いていることが確信でき
うれしくなった。
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瓜連のまちは、それほど大きくないし、
これといった特徴のあるまちではない。
ほんとうに地味なところである。
しかし、このまちには、たくさんの人々に、
大切な人の冥福を祈る、
亡くなってしまった人の死後の幸せを願う
気持ちが生きている。
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「科学の考え方」が万能になってしまった
現代の世界では、死後の世界は迷信に
すぎないし、そんなことを考えることは
無駄であるという風潮が社会のすみずみ
までいきわたってしまっている。
 

しかし、亡くなった人々を「思いやる」気持ちが
あるからこそ、森羅万象に対する感謝の気持ち
が育まれ、人と人、人と自然が結ばれていく。
 

私は、二十六夜尊という感謝のお祭りを
600年もの時を超え継承している瓜連の
人々の見事さに、あらためて驚かされた。
そんなことを考えながら、ふと我に返ると、
さっきの三人が笑顔で手をつなぎながら、
常福寺の門を出ていくところであった。
 

その様子を見て、私は確信した。
このおまつりは女の子の孫の代まで
引き継がれていくことだろう。いや、もっと
ずっと先も続くだろう。あの三人のように、
「思いやり」の気持ちが継承されているの
だから。
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常福寺
延元3年(1338年)に了実小人によって開山された浄土宗の寺院で、応永12年(1405年)第二世了誉上人によって現在の地、瓜連城址に移される。佐竹氏の庇護を受け栄え、佐竹氏秋田移封後に徳川家の寄進を受け栄える。浄土宗常陸総本山関東十八壇林のひとつに数えられる浄土宗の名刹である。

 
2015年3月20日 発行

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