瓜連まちの風土記 第12巻
らぽーると瓜連小学校
【水郡線の風景】 私の庭のそばにいつもある電車 スローなまなざしでまちの風景をみれば、 いつもはみえない幸せがみえてくる |
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◆水郡線は、瓜連の住宅地と農地が果てしなくひろがる大地を貫いている。 ◆ほとんどが無人の駅を1時間に1本のペースで結びつけるそれは、この大地に生きる人々とシンクロしている。 ◆おおらかに、ゆっくりとしたスピードで通り過ぎていくそれをみていると、いままで忘れていた風景がよみがえってくる。 |
そこに着くと、物静かで穏やかなまちの風景と 果てしなく続く一本のまっすぐな線路が、私を 待っていた。 |
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電車はまったく来る気配がない。 あたりはシーンと静まりかえっている。 いつも車やバイクがガヤガヤ通るところに 住んでいる私にとって、そこはとても不思議 で、それでいてなぜか心地よさを感じさせる ところだった。 |
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私は何も考えずに思わず線路の上を 歩いてしまった。 |
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よくないことをしていると気づいたが、この 風景の中で、鳥の声を聴き、風を感じながら 歩くのは、まるで映画のヒロインにでもなった ような気分でとても気持ちがよかった。 |
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元の場所に戻ると、柵の上で雨蛙が昼寝を していた。なんとのどかなのだろう。 |
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毎日、毎日時間に追われ、同じような 生活をくり返している。 そして、同じような風景を見て退屈な日々を おくっていた私にとって、ここに来たことは とても新鮮で、自分の今までの世界観が がらりと変わってしまうようだった。 |
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そんなことを思いながら映画の世界に ふけっていると、突然、踏切の音が カンカンカンと鳴り出した。 |
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私はその音で現実へと引き戻された。 遮断機が下りてくる前に、線路の 真ん中から退いて、電車が通り過ぎて 行くのを静かに見送った。 |
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電車が通り過ぎるのを見ることなんて、 いつものことでなんでもないことのはず なのに、なぜかはじめて見るような わくわくした気持ちになった。 |
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水郡線は、私が普段見ている電車と 何がちがうのだろう。 まっ直ぐ果てしなく続くたった一本の線路。 小さい踏切。 普通の踏切は、渡る時少しの緊張感が 生まれるが、この踏切にはそれが 感じられない。 |
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線路が暮らしの中の風景になっていて、 踏切もすっかり暮らしにとけ込んでいる。 電車は私たちのすぐとなりを走っていて、 普通の電車のように私たちの生活と切り 離されたりしていない。 暮らしの中にあるのがあたり前だから、 なじみのあるものになる。こんなふうに 考えていると、鉄の塊である電車に 温かささえ感じてくる。 |
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ついさっきまで柵の上にいたカエルは、 電車が通り過ぎるのと一緒にいなくなって しまった。 ふと気がつくと、私の足もとには黄色い きれいな花畑がひろがっている。 いったい誰が植えたのだろう。踏切の脇が 小さな花畑のようになっている。 これも水郡線がまちの人々に愛されている 証拠であると考えた。 |
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過ぎ去って行った電車は、 私に心地よい風を届けてくれた。 私が見た今日の風景は、 私に大切な時間をくれた。 |
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時間に追われ続けている多くの人にも ぜひ見てほしい。 時間を忘れて歩いてみてほしい。 あなたが忘れているものをきっと 思い出させてくれると思うから。 |
瓜連駅とは 茨城県那珂市瓜連にある東日本旅客鉄道(JR東日本)水郡線の駅である。 1918年(大正7年)に、水戸鉄道の駅として開業。当時は終着駅であった。 1983年(昭和58年)に無人化され、2000年に橋上化される。 |
2015年3月20日 発行