瓜連まちの風土記 第24巻
古徳沼と自然
【白鳥を招いた家族の物語】 家族の夢とドラマがつくった 白鳥の博物館 白鳥を招いた家族の物語にふれると、 夢が人を育むチカラとカタチがみえてくる |
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◆古徳沼に白鳥が最初に来たのは昭和41年である。後藤さんという1人の女性がはじめた白鳥の餌付けからコトは動き始めた。 ◆後藤さんは、白鳥が帰還するようになるまで3年の歳月をかけて餌付けした。 ◆湖畔の掲示板には、年度別の白鳥の飛来数が記されているのだが、それはまぎれもなく後藤さんの努力と優しさを表す数字である。 ◆後藤さんが古徳沼の白鳥に注ぎ込んだ愛と情熱を感じとれるミュージアムである。 |
古徳沼のまわりで日々を過ごす。 朝6時に起きて支度をして、9時ごろから 12時のお昼時までそこにいる。 昔から仲の良い友達が、みんなそこに 集まるから、居心地はさらに良い。 |
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沼の周りはすごく静かで、空気は澄んでいて、 居心地もすごく良い。 古徳沼は、いつ来ても、なにもないけど、 来てよかったと感じることができる不思議な 場所である。 |
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古徳沼のほとりに住む後藤家は、白鳥の餌付け を始めた最初の人々だった。 ある日はじめて飛来した3羽の白鳥を見て、 「白鳥に来てもらいたい」という、非常に個人的な 思いを元に家族で餌付けを始めたのがはじまり という。 はじめたばかりの頃は、白鳥の警戒心が強く、 餌付けをしても、まったく食べてもらえず、 苦労した。 |
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しかしあるとき、食べられずにずっと水に残って いた餌が浅瀬の隅に流れ着いていた。 最初の1羽がやっとそこから食べてくれるように なり、餌付けが広がるきっかけを作ってくれた。 それからは徐々に多くの白鳥が安心して餌を ついばむようになっていった。 |
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こんなにもたくさんの白鳥が来るようになるまで には、2度3度と冬を越さなければならなかった。 餌付けを始め、ようやく餌を食べに集まってきた とき、最初は2羽の白鳥しかいなかったそうだ。 後に200羽以上も集まるようになるとは、誰が 予想できただろうか。 |
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「たくさんの白鳥に来てもらいたい」という 個人の夢は大きく育ち、古くからの沼の 様相を一変させた。 今では日本有数の白鳥の飛来地として、 多くの好事家がこの地を訪れる。 |
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そこに住まう人々が静かに守り続けてきた 変わらない時間軸の中で、それはまちの 経済効果に影響を与えるほどのインパクト であり、静かなまちのドラマチックな展開は、 それに連なる話を一人歩きさせた。 |
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餌付けは母ひとりが始め、ひとりで白鳥を集めた という話で広まり、古徳沼の伝説を形作っている。 しかしはじめからずっと併走してきた息子は、 その現状に少々の不満があることも否めない。 |
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家族が体調の悪いときや休みのときは、たがいに 支え合い、助け合って一緒に餌付けを行ってきた。 両親が愛で、家族総出で見守る中、たくさんの 白鳥を集めたことは、誰かひとりの夢ではなく、 一家の誇りであり、愛のかたちであると思って いるのだ。 |
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今年もまた、もう少し寒くなれば、100羽は 集まるだろう。 静かなまちに白鳥の声が響く、水面は凍り、 景色は映え、そこには完璧に美しい世界が できあがる。 |
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11月下旬に始まる白鳥の飛来は、12月頃に 一気に増え、寒さを増す中でその数を増していく。 静かなまちの静かな古徳沼でつくりあげた白鳥の ミュージアムとその学芸員の話を聞くうちに、 まだ見ぬ光景がまぶたに浮かぶようで、もう一度 ここを訪れたいと強く感じた。 |
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古徳沼の白鳥の飛来は自然の摂理ではない。 遠くシベリアの地から渡ってくる白鳥たちを よろこんで迎え、育み、送り出す、ひとりの 女性とその家族の深い愛情が長く注がれる ことでつくりあげられた風景だ。 |
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その沼を擁する瓜連のまちは、沼以外にも流れる 穏やかな時間、美しい空の色、雰囲気のある あぜ道と、訪れる人々を癒やし、愛で包み込む 魅力に満ちている。 もっと寒くなった時に来てくれたら、餌付けを 一緒にしたり、もっといろいろな話をしよう。 |
2015年3月20日 発行