瓜連まちの風土記 第42巻
北城地区と田園風景
【倭文織と手仕事】 織姫たちの知恵と しつらえのミュージアム 瓜連の家庭に継承された家庭の幸せを 編みだす女性の知恵にあえる。 未来への幸せのヒントにあえる。 |
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◆瓜連で誕生したという倭文織(しずおり)を復活しようという志を持った人々が集い、糸の素材になる植物(楮(こうぞ)、麻、カラムシなど)を畑で栽培し、糸に加工し、織物をつくる活動をはじめた。 ◆楮(こうぞ)の栽培から織物にするまで1年の歳月をかけて手間とひまをかけてくりひろげる作業は、鍛練と熟練の技が求められる。 ◆20年の歳月をかけてきりひろげてきた活動は、着実に実を結びつつある。現在、1ヶ月に2回、瓜連小学校のクラブ活動で教えたり、全国各地で展示会や販売を開催したりして、「手しごと」の魅力を普及する活動に取り組んでいる。 |
いにしえより「倭文織(しどり)の里」 と呼ばれたその地には、 今もその名を継ぐ静神社がある。 |
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瓜連の人々を今もあたたかく見守る神社の その名につながる「倭文織(しずおり)」は、 日本最古の織物の一種といわれ、いつしか 途絶えていたその伝統を興すべく立ちあがった 人々がいた。 その中心にいたのは日々の暮らしを支える 女たちだった。 |
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「倭文織(しずおり)」を復興した 倭文機GR「手しごと」は、 瓜連の文化発信基地「らぽーる」の二階、 織物実習室を拠点に活動している。 |
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実際に活動している瓜連のお母さんたちを 中心とした11人で、初めてこの地を訪れる 人にもふところ深くひらかれ、倭文織の基礎 知識の展示・解説、織物体験や販売といった 多岐にわたる活動を行っている。 「手しごと」の代表者、田中良治さんに 話を聞くことができた。 |
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倭文織(しずおり)は木綿や絹といった 近代繊維を利用した織物とは異なる。 使う糸は楮や麻、からむしといった植物から 作られる。これらの素材は畑で栽培し、 繊維をとりだし、紡いだ糸になるまでに約1年 かかる。非常に手間がかかり、また根気と 技術のいる作業となっている。 |
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こうして作られた天然繊維の他、 着られなくなったシャツや古くなった着物を 裂いたものも使う。リサイクルにもなる。 生活者の視点で生まれ変わり、 作り替えられてきた伝統がそこにある。 |
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「手しごと」で実際に活動しているのは、 皆瓜連で暮らす生活者である。 彼らは、倭文織(しずおり)を単なる工芸品 ではなく、その土地に生まれ、育った文化 として守りたいという思いをもって活動に 取り組んでいる。 |
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日々の暮らしのおしゃべりや人間関係、 日常生活の一環として織物を組み込みながら、 その一方で町を訪れる誰にでも、まちの歴史や 織物の歴史、材料、糸の染め方、織り方などを わかりやすく、ていねいに伝えるように取り組ん でいる。 |
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彼らのこだわりは、たずさわる人々の作る作品 そのものだけでなく、自分で作った糸を織り、 ひとつの作品を作り上げるすべての工程に 潜んでいる。 |
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七夕の織姫伝説に端を発するように、 人の手で作られる織物には愛がある。 |
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畑で育った草が糸になり、 糸だったものが世界にひとつだけの作品に 生まれかわるまでの長い時間、思いを込めて 続ける仕事には、愛する人の幸せを願う 気持ちが込められているからこそ、 伝わるものがある。 |
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瓜連を少し探検してみるといい。 それまでまったく知らなかった瓜連の町を、 道端の草花や動物と触れあったり、神社や お寺を探してぶらりと歩くのはとても楽しい。 |
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田んぼのあぜ道、麦畑、静神社を訪れれば、 穏やかな時間を得ることができるだろう。 それと同時に、 そこで生きる人々の確かな息づかいも 聞こえてくるはずだ。 |
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「手しごと」では、長く続けてきたなかで 子ども達が興味を示し、次の世代に つながる活動も生まれてきた。 復興したものは、次につなげるものが なければまた立ち消えてしまう。 |
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その先につながる未来があることは心強い。 瓜連はそこに生きる人々もまた、つながって いることが実感できるまちである。 |
倭文機GR「手しごと」 代表:田中 良治 「らぽーる」2階 織物実習室で、毎週火曜、金曜の10時から16時に活動している。 会は平成6年(1994年)に実施された倭文織調査からスタートした。倭文織をテーマに人と人が結びつき、同好会のようなサークル活動がうまれ、平成8年(1996年)6月に、倭文機GR「手しごと」という組織に発展した。2014年には、創立20周年を記念し、展示会を開催した。現在は田中良治さんを含めた11人が活動している。 |
2015年3月20日 発行