額田まちの風土記 第13巻
光圀山攝取院引接寺
人に寄りそうひらかれたお寺 |
その昔、額田地区には 浄土宗のお寺が53もあった。 それをひとつにまとめたのが、 額田南郷にある 光圀山攝取院引接寺である。 |
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引接寺の近辺には、 阿弥陀寺や鱗勝院があるほか、 額田地区内にいろいろな宗派の お寺が点在している。 その中でも、引接寺は 檀家の数が特に多い。 |
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もともとはこの場所に、 公栄山心岸寺というお寺があったが、 水戸藩主徳川光圀公がその寺を 金砂郷村に移し、元禄9年(1696) この地に引接寺を建立し、 向山浄生院常福寺の末寺として 創建された。 |
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常福寺は、徳川光圀公が 元禄2年に水戸徳川家菩提寺として 建立した寺院であり、 常福寺の第三世であった 稱蓮社益誉上人が、 引接寺開山上人として 初代住職となった。 |
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引接寺は、 水戸徳川家御神葬式に際し 光圀公をはじめ、 江戸時代から明治のはじめまで 常陸太田市瑞龍山徳川家墓所に 埋葬の御霊柩の宿寺となっていた。 額田の「たっつぁい伝説」の 大谷家の墓がある。 |
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引接寺に訪れた者たちを最初に 出迎えてくれるのが金剛力士像。 誰もが1度立ち止まり、 その迫力に圧倒されてしまう。 これは平成7年に 開山300年ご遠忌を迎え、 中門左右に記念事業の一環として 造立したもので、観光の パワースポットになっている。 |
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引接寺の本尊仏は、 県指定文化財に登録されている 木造阿弥陀如来立像及び 両脇侍立像である。 徳一の作品といわれ、室町時代 末ごろの製作と推定されている。 安良川村八幡宮に奉安して あったものを光圀が寄進した。 |
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その背面には 「常州額田村に廃寺あり。之を経し 之を営み、日ならずして落成す。 扁して引接寺と号す。元禄9年 10月20日益誉和尚に請うて開堂し、 永く浄鑑の末流を汲む。 余適阿弥陀如来の一体を得たり 荘厳潤色正仏伝の中央に之を 安置す。」の刻文がある。 |
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引接寺では春彼岸法要、 御施餓鬼法要、 秋彼岸法要、 開山忌十夜法要などの 特別な法要のほか、 毎月最終日曜日になると 「念仏講共生会」という 座談会が開かれる。 |
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みんなで輪をつくり 住職のお話しを聴いた後、 質疑応答、最後は木魚念仏を行う。 住職の声はふくよかで、 聞き入ってしまうほど素晴らしく、 皆をとりこにしてしまう。 |
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念仏講の後に、 客殿で忘年会をしたり、 いろりを囲んでお餅やおにぎりを 焼いて食べながら話をしたり、 皆で楽しい時間をともにする。 |
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宗派を問わず、 誰でも足を運んでよい、 ひらかれたお寺での、 そんなつどいや仲間も 額田の宝物である。 |
2017年2月6日 初版第1刷発行 | |
著 者 | :畑岡 祐花 |
編 集 | :畑岡 祐花 |
写 真 | :畑岡 祐花 |
発行者 | :日本地域資源学会 |